先日、こんな記事を書いた。
最近、もう一つ、思うことがあって、それが「この人と関わることが、今世での私の修行だ」というもの。
今世とか、スピリチュアルっぽくて、そのあたりが嫌いな人にはアレルギー反応が出てしまうような話題かもしれないけれど。
完全に否定できないものに対しては、肯定も否定もしないでおこうというスタンスでいようと思う。
だって、自分には見えないだけかもしれない。
私の見ている世界と、あなたの見ている世界は、違うかもしれない。
だから、今世とか来世とか生まれ変わりとか、そう言うことを言う人がいるということは、そういうことがあるかもしれないってことにしてる。あくまで、かもしれないだけど。
前置きが長くなった。
今世、来世の話は、一旦、置いておく。
人間関係でもやもやしたり、イライラしたり、悲しくなったり、感情が突き動かされた時、「この人と関わることは、自分の修行」と思うようにしている。
夫に子ども、友人などなど。
イライラいするのも、悲しくなるのも、もやもやするのも、全てに意味があると思う。
転んでもタダでは起きない精神。
だって、イライラし損じゃん。
これで、私は何を学べるんだろうって思う。
例をあげる。
最近、連絡はくれないのに、SNSで他の友達とやりとりはしている友人に、なぜかムッとした自分。
彼女に今度、一緒にランチへ行こうと誘ったけど、なんだか行きたくなくたってきた!
なんだかんだ理由をつけて、も〜、断っちゃおうかな!なんて思いはじめる。
いやいや、待てよ。そんなわけないじゃん。そんなことを望んでいるわけないじゃん。
ちょっと疎外感を感じて、拗ねた自分がそこにいるのだ。
「別にあなたが連絡くれなくても、私は平気ですけど」と強がっている自分がいる。
本当は、かまってほしいだけで、友人たちのSNSのやりとりに疎外感を感じて、拗ねただけなのだ。
本当は、寂しいくせに。
あぶないあぶない。
もう少しで、感じの悪い自分になるところだった。
拗ねた子供っぽい、幼稚な自分になるところだった。
人間関係と感情は、私に自分では気づかない自分をたくさん教えてくれる。
人間関係は本当に煩わしい。
嫉妬、独占欲、妬み、などなど、時に激しい感情を伴う。
でも、それを乗り越えた時、その感情は私にたくさんの学びを教えてくれる。
人の心の仕組み、自分自身という生き物、感情の受け入れ方。
目の前の、私をドキドキさせたり、イライラさせたり、悲しくさせたりする人、この人と関わることが、私の今世での修行なのだ。
こうやって、私は少しでもマシな人間に成長していくだろう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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