ワクチンを接種した夫のその後。
2日目、相変わらず筋肉痛のようなだるさ。
夫の同僚の中には高熱が出た人も。
副反応は、本当に人によるみたい。
さてさて。
私の中にたくさんの私がいるという話をしたい。
私の交友関係の中で、つい僻みっぽいことを言う人がいる。
その人と接する時、私もけっこう僻みっぽくなる。
普段、私はそこまで僻みっぽくない。
その人がちょくちょく、「自分なんかとすみませんね」みたいな言い方をするから、私もそれに合わせてしまってる。
私は接する人によって、パターンというか反応の仕方が違う。
相手に合わせている。
パリピなノリの友達には、パリピ系な喋り方をするし、
おっとり系の友達と喋る時は、おっとり系でいく。
関西圏を出て、もう10年以上経っている。
関西人はいつまでも、どんな時でも関西弁というけれど、私は関西人と喋る時しか使っていない。
むしろ、今の土地の訛りやイントネーションが体に馴染みつつある。
接する人によって、若干、キャラを変えている。
もちろん、ネガティブ系もパリピ系もおっとり系も、全部が私であることに変わりはない。
相手の人柄、場の空気に合わせた私が、たくさんいる。
戦略的に、シャイな人の心を開かせるために、ぐいぐい系でいくこともある。
堅苦しい空気を壊したくて、お堅い系のたちに人に対して、フレンドリー系でいくこともある。
昔は、中二病みたいな感じで、どんな相手とも自分全面で、無愛想、自分の好きなことしか興味なしみたいな、嫌なやつだったけど。
戦略的にキャラ変する、そういうことが、無意識にできるようになった自分、成長したなぁと思う。
「自分らしさ」を大事に、みたいな教えもあるけれど、今はほぼ不要だと思っている。
けれど、自分の心地よさと自分の欲求を通すこと以外なら、無理に「自分らしさ」に囚われる必要はない。
そもそも「自分らしさ」とか、怪しい宗教だ。
そんなもの、どこにあるというのだ。
1分1秒で人の心は揺れ動いているというのに。
いつでも「矢沢永吉」であることが仕事みたいな、芸能人とかは別だろう。
そういう「キャラ」でいることが、仕事の人たちだから。
色んな私が、色んな交友関係のおかげで作られている。
交友関係によって、色んな自分を作っていく。
人は単色じゃなくて、見る位置や角度によって変わる、マジョーラカラー。
さて、僻みっぽい人と接すると、私も僻みっぽくなる問題をどうしようかと考えている。
僻みっぽい発言が続き、暗い雰囲気になる。
この場合は、戦略的にポジティブ変換していこうと思っている。
私のポジティブな気持ちを、うつしていく。
1のネガティブに対し、7のポジティブが必要になるという。
だから、けっこう大変かもしれないけれど、脳トレだと思って、頑張るつもりだ。
私のポジティブ発言変換作戦で、どのような変化が起きるのかは、また後日レポートしたいと思う。
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