価値観の違う人に対する考え方

ライフハック

だいたいの人間の悩みは人間関係で、人間関係で問題が起きる場合、それはたいてい「価値観の違い」が原因だったりする。

 

何にお金をかけるか

何に時間をかけるか

どんな受け答えをするか

どういう服装をするか

何を食べるか。

 

そこに、人の価値観が現れる。

価値観の相違に対し、自分とあまり関わりがなければスルーするのだけれど、家族や親しい友人の場合、衝突が起きることがある。

遠い友人や知人が、何にお金や時間を使うかは、あまり気にならない。自分の人生にあまり関係がないから。

けれど、自分の配偶者が意味があるのかわからない怪しいサプリメントや、不釣り合いなブランド品を買ったり、ギャンブルにどっぷりハマっていたら、それには全力で意義を申し立てる。

家族という共同体を運営していれば、相手の行動によって何かしら影響があることを考えれば、自然なことと言えるかもしれない。

親しい友人の場合でも、心配になって、アドバイスというお節介を働きたくなる。

自分の大切な友人が、変な宗教にハマったり、変な占い師に貢ぎ出したら、今後の健全な友好関係が悪化する恐れがあるからだ。

 

ちなみに、全く自分と無関係な人の価値観に文句を言う時、それは、自分の持っている価値観の正しさを証明したいからです。

あるいは、本当は羨ましいのに、自分はできないから、くやしくて叩いているのです。

愚痴や文句に、その人のコンプレックスが現れます。

 

一つの鍋を囲んだ時も、野菜ばっかりとる人とか、肉ばっかりとる人とか、違いが出てくる。

小さいものから大きいものまで。

そんな違いは、当たり前のことだから、そういう他人との「違い」と、どうやって折り合いをつけていくのかが、人生の修行の一つだと思うのです。

 

今の夫と結婚する前に、付き合っていた頃にあった、今でも忘れられない出来事がある。

私が太平洋戦争の終戦記念日の日付を間違えたら、彼に

「俺のお父さんは社会科教師だから、そういう社会常識を間違える子って、ありえないわ」

と言われた。

小学生の歴史の授業でも習うことを答えられなかった恥ずかしさと同時に、もやもやした気持ちを感じた。

そんなささいなことを「ありえない」と自分の彼女に対して非難する彼の態度にだ。

けれど、非モテ人生を歩んできた自己肯定感の低い私には、ようやくできた彼氏のことを否定することなど、考えられず、その時はすっと胸の奥の方へしまい、それ以上考えることをやめた。

今ならよくわかる。

彼には自分の常識、価値観というものがあり、自分の彼女へ求めるレベルが、「太平洋戦争の終戦記念日を言える」ことだった。

若い私は、責められたことに、ショックを受けて、自分の自己肯定感を下げて、彼の価値観に合わせようとた。

 

今なら、よくわかる。

終戦記念日の日付を正しく言えるよりも、大事なことは他にもあると思う。

そんなことで、人間の価値観は決まるわけではない。

少なくとも、私はそういう「価値観」を持っている。

 

しかし、彼は「歴史の教養がある」ことに価値があると思っていた。

そして、自分の価値観を私に押し付けようとした。

 

価値観の違いがあるのは仕方がない。

けれど、物事や生活に支障がない限り、自分の価値観で相手を攻撃することは避けるべきだと思う。

 

自分の価値観に固執するより、柔軟であるほうがはるかに生きやすいのに。

「常識」という自分の「価値観」を振りかざす時、人は周りが見えなくなる。

自分の世界に引きこもる。

周りが見えなければ、新しい発見も体験も感情も、それを味わうことはできないだろう。

まぁ、これは、私の価値観だけど。

 

世の中には自分の価値観を絶対だと思って、「価値観メガネ」を外さない人がいます。

そういう人はそういう人なのだと思って、接する。

多分、その眼鏡を他人が外すことは難しいから。

そして、年齢を重ねれば重ねるほど、多くの人はその眼鏡と完全に同化してしまうから。

自分だけは、いつでもその眼鏡を外せるようにありたいと思う。

 

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