「どうして、あの人はこんなこともできないのだろうか」
あるいは
「どうして、私はあの人みたいに成功できないのだろうか」
と、他人や自分を責めたことはないだろうか。
考えてみれば、自分と他人が全く同じ条件に立てるはずがない。
持って生まれた遺伝子も、育ってきた環境も違うのだから。
スタートラインや与えられた道具が違えば、結果が違うのは当たり前。
近年の研究で、努力できるかできないかも遺伝であり、その遺伝子を持っているか持っていないかは、運次第ということが明らかになった。
つまらないことも、コツコツ続けられる人とそうでない人がいるということだ。
先日、YouTubeの岡田斗司夫ゼミで、また面白いテーマーの話をやっていた。
サンデル教授の挑戦状!『実力も運のうち~能力主義は正義か?』を語る SDGsを掲げる人類が解決するべき真の課題 岡田斗司夫ゼミ
能力主義って、結局、差別に繋がってるんじゃないというお話。
能力主義は、階級や出身、性別に囚われず、自分の努力でなんとかなるから、いいモノだという考え方が昨今は主流だ。
貧しい階級出身の人や、女性が努力して地位と名誉を手に入れるストーリーは、自分も努力すれば成功を手に入れられるんじゃないかという幻想を見せてくれる。
だから、あらゆる世代で人気の筋書きだ。
一方で、能力主義者たちは、努力しない人に厳しい。
というか、能力主義者だけでなく、世間全体が努力しない人に厳しくなりつつある。
能力主義者(高学歴とか高学歴じゃなくても、自分の努力で成功した人)たちは、人種差別や性差別には敏感で、人種差別や性差別の被害者は擁護する。
でも、一方で努力していない人を差別する。
努力しない人たちとは、例えば、デブ・貧乏・ブサイク・低学歴みたいな人たち。
人種や性別、階級は自分では選べないから、仕方がない。
でも、ダイエットはできるだろう、一生懸命働くことはできるだろう、見た目をよくすることはできるだろう、勉強はできるだろう。努力すればできるだろう。
という考え方だ。
能力主義者は、自分たちが努力して成功してきたから、誰でも努力すれば成功できる、努力しないやつは、ダメなやつだと、差別するのだ。
(こういった内容のお話が、岡田さんの面白い切り口と例え話で、完全無料で公開されている。)
この論理はなかなか面白いと思った。
私も、自分のように論理的に考えたりできない人を、「なんで、こんな単純なこともわからん!」と腹を立てたり、軽蔑してしまうこともあるし、一方で成功している人と自分を比べて、自分がどうしてこんなふうにできないのだと、落ち込むこともある。
そもそも、どこに生まれ落ちるかどういう遺伝子を持つかは、選ぶことができない。
全てが運次第。
そんな世界で、他人や自分と比べて、落ち込んだり怒ったりすること事態、意味がないのだ。
私も「やればできる」と、人を励ますことがあったし、励まされることがあった。
でも、もう、その言葉は使えない。
「やればできる」はプレッシャーでしかない。
「あなたも、やればできるかもしれない」のだ。
無責任な慰めや応援は、実は欺瞞でしかない。
でも、人間は自分もできる、成功できると思いたい。
あの人は変われると思いたい。
思い続けて、願い続けて、でも叶わなかった時、この理論を思い出せば、自分も他人も許せる気がする。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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