楽しかった日の夜は、思い出を箇条書きのように書くようにしている。
どんな些細な嬉しかったことも、全て書くようにしている。
例えば、
「◯◯さんに、お土産をもらって、嬉しかった」とか
「ドライブ中に見たひまわり畑がすごく綺麗だった」とか
「楽しみにしていた海水浴の日、絶好のお天気で最高だった」とか。
「久しぶりに◯◯さんからLINEが来て、嬉しかった」とか。
「お昼ご飯にたまたま入ったお蕎麦屋さんのお蕎麦が、すごくおいしかった」とか。
人間は自分がどんなに恵まれているのかを、すぐに忘れる生き物。
そして、自分がどんなに不幸であるかと、自己暗示する生き物。
(娘もそうだ。宿題を学校に忘れただけで、この世の終わりみたいに、大泣きする。)
人間は他人にしてあげたことは、いつまでも覚えているくせに、してもらったことは、あまり覚えていないという。
(自分はしてもらってばかりいるのに、「あのとき、やってあげたでしょ!」という、嫌なやつにみんななりがち)
だから、世界からもらった数々の優しさや幸運を、忘れないように、私は日記をつけている。
日記といっても、簡単なもの。手帳に1、2行の時もあれば、楽しいものはノートにびっしり書く。
もうかれこれ5、6年は続いている。
たまに読み返して、楽しかったことを思い出すようにしている。
楽しいことだけじゃない。
悲しかったことも、怒ったことも書いている。
「こんな、しょーもないことで、私は怒っていたのかwww」
「こんなくだらないことで、悩んでいたのかwww」
となることも多い。
過去の自分が今の自分を作っている。
人間の記憶なんて、いい加減。
言葉という記録手段を使い、記録して過去をいつまでも見返せれば、幸せを思い出すだけじゃなく、今後の人生や自分の成長に活かすことができる。
なぜ、失敗したのか。
なぜ、悲しかったのか。
それを、冷静に見つめることができるようになる。
感情に踊らされるときは、思いっきり踊らされて、悲しい・嬉しい・楽しいを楽しむ。
でも、最後まで心の手綱をしっかりと握っていられるようになる。