いつの頃からか、愛されることよりも愛することの方が、面白いと思うようになった。
愛されるよりも、愛したいマジで〜の歌詞が、ようやく理解できるようになった。
若い頃は、誰かから一心に愛されたいなぁというクレクレ状態で、自分から見ても、恥ずかしいくらい、欲求不満だった。
プレゼントが欲しい、愛されたい、大事にされたい、などなど。
でも、反対にものすごくたくさんの劣等感があった。
自分なんかという気持ちがあるから、誰かから強烈に愛されたいという欲求があった。
「どうせ自分なんか」って、結局は、そういう態度をとって、相手を試してる。
自分に振り向いてほしい、構ってほしいという裏返しの感情なんだよね。
いつの頃からかわからないけれど、子どもという、自分よりも大事だと思えるものの存在は大きいと思う。
もし、子どもと自分の命、どっちか差し出せなんて言われたら、「私の命をどうぞ」と言える自信がある。
なんか、そこそこ満足いく人生を送ってきたからというのもある。
若い頃にはどうしょうもなくコンプレックスだったことが、今は気にならなくなって、「ま、こんな自分もいいよね」と、肩の力を抜けるようになってきた。
ありのままの自分を認めるなんて、かっこいいことではないけれど、シワもシミも気になってきたけど、「まぁ、年を取ればこんなもんよね」という感じ。
そうなると、誰かから愛される必要とされるということよりも、自分が誰かを愛する、慈しむ方が、楽しくなってくる。
喜ばせてもらうより、喜ばせる方が面白い。
それは本当は「人を喜ばせることができる自分」が好きなのかもしれないけれど。
完全に下心0なんて言えないだろうけど。
でも、「私を愛して!喜ばせて!」という受け身より、「愛したい、喜ばせたい」の方が、楽しいし、何より楽ちんだと思う今日この頃でした。
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