昔ほど、物を所有したがらなくなった話

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子どもの頃は、ポケモンのカードとか、好きな動物の絵柄が描いているグッツとか、とにかく見たら「欲しい」と思っていた。

何に使うのかわからないような小物とか、可愛ければ欲しいと思っていた。

でも、今はそんなに欲しいと思わない。

 

私は鳥が好きで、鳥グッツを見ると、絶対に欲しいと思っていた。

中学生の頃、UFOキャッチャーで鳥のぬいぐるみを見た時、どう考えても、とるのが難しい位置なのに、親におねだりして1000円分くらい浪費した。

UFOキャッチャーは取れるか取れないかのドキドキ感にお金を払うというが、私はそういうドキドキ感は好きじゃない。

単純にそのぬいぐるみが欲しかった。

最近は鳥ブームで、鳥のぬいぐるみやガチャガチャなど、グッツがけっこう売られているけれど、昔は珍しかった。

大人になった今、鳥のぬいぐるみを見ても、欲しいと思わないし、鳥グッツを見ても、使い道がなければ欲しいとは思わない。

かわいい便箋とか、付箋とか、かわいくても、使い道がなければ、私にとっては、不要なものだ。

かわいいものを見るのは好きだけれど、それを所有するということに、今はあんまり意味を見出さない。

鳥グッツを集めるより、今飼っている小鳥たちを可愛がることに時間を費やす方が、大事だなと思っているからだ。

彼らとの時間の方が大切だ。

物はいつか壊れるし、なくなる。

思い出は見えないけれど、コスト0スペース0で、死ぬ間際まで保持できる。

 

昔、かわいいというだけで、山のように集めたレターセットやメモ、シール。

大人になり、もう所有し続けることに魅力を感じなくなった私は、それらを3歳の娘にあげた。

私が小学生の頃から大事にとっていたレターセットとメモ、シールは、娘の手によって、あっという間になくなった。

所有し続けることより、その場で楽しく使うことの方が、3歳の娘にとって大切なのだ。

使ってこそのものだなぁと、しみじみ思う。

もちろん、集めることに意味があるという考え方も共感できる。

自分の手の内に、コレクションして、時々眺めるという喜びも、知っている。

でも、今の私はできるだけ何かを所有するという考え方を捨てたいと思っている。

所有すると、失う恐怖がある。

物だけじゃない。

人間関係も、若さも、健康も。

所有すると、執着が生まれる。

かわいいものも、美しい風景も、素晴らしい人との人間関係も、私の人生の中を通り過ぎていくだけ。

それらを所有することはできないけれど、私の心の中に残り香のようにとどまり、時々、思い出しては心を温めてくれる。

 

 

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