正しいとか正しくないとかを理由にすると、なんだか胡散臭くなる話

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イギリスで動物園でのゾウの飼育を禁止する法案を今年中に可決するかも知れないとうニュースをちらっと聞いた。

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理由は、

  • 野生のゾウは55年以上は生きるのに、動物園のゾウはストレスで17年しか生きられない。
  • ゾウは歩き回る習性の動物だから、狭い檻に入れておくのはかわいそうだから。
  • 社交的で賢い動物であるゾウを飼育するべきではない。

という理由らしい。

この話を聞いて、すごくもやもやした。

もやもやしない人もいるだろうけれど、私はモヤモヤする派だ。

 

もやもやする点はいくつかある。

まず、動物園のゾウは大切に扱っても、家畜はよいのか。

家畜は動物園の動物よりも、過酷な状況で生きて、死んでいく。

その数はゾウよりも多い。

明らかに、家畜の命は軽視されている。

言っておきたいが、私はビーガンではない。

畜産業の動物たちの不遇は心を痛めているし、改善されればいいと思う。

だが、目の前に出されたお肉は、ありがたくいただく。

そういうシステムで生きている以上、受け入れなければいけない部分だし、変わっていくのなら、賛成したい。

けれど、過激派ビーガンたちに、肉を食べることを一方的に悪だと決めつけられる筋合いはない。

だって、ビーガンも蚊やゴキブリは殺すし、うっかり蟻だって踏んづけてると思う。

それに、植物を食べること、これは植物の命を奪うことじゃないんだろうか。

製薬会社はたくさんの動物実験を得て、薬を使っている。

科学技術の発展は、たくさんの実験用マウスによって、もたらされた。

科学技術の恩恵を受けている以上、というか、人間である以上、無罪であるはずがない。

自分たちは正しい人間ですという顔をして、ゾウの命を守れという一方で、たくさんの家畜たちを殺しているということに、強烈な違和感を感じるのだ。

 

そして、賢くて社交的な動物なら、偉いのか。

賢くて社交的なら、大事にするべきなのか。

(ちなみに、我々がたくさん殺しているブタだって、かなり賢く社交的な動物と言われている)

ゾウはダメなら、動物園のクマ、トラ、ライオン、キリン、ウサギやシカ、その他の動物はいいのか?

人間のご都合主義な命の線引きを、「自分たちは正しい」という顔でするところに、もやもやする。

 

もちろん、自分がもしゾウならば、その法案は大歓迎だ。

人間の考え方なんて、どうでもいい。

動物園でストレスをためて暮らすより、草原の中を歩き回って、生きて、死んでいきたい。

 

うっかり、動物園にきてしまったゾウは、本当に気の毒様だと思う。

でも、家畜に生まれてしまった動物も、実験用のマウスたちもそうだ。

でも、私は人間だから、結局、人間の考えで人間的な立場でしかものが言えない。

地球上の生物である以上、食物連鎖の中の一つであることには抗えない。

その食物連鎖が、我々の手によって、歪められているといことは事実だ。

 

私は「自分は正義」と言う人間に、違和感を覚えるのだ。

ただ単に、「私はゾウが好きで、ゾウはかわいそうだと思うから、動物園での飼育を禁止にしたい」と言う方が、よっぽどマシだと思う。

好きなものは大切にしたい、好きなもの贔屓は、普通のことだ。

そこに、正義や正しさを振りかざすことが、いやなのだ。

 

そして、社会全体としてメリットやデメリットはないかも、考えたい。

ゾウの飼育禁止、やがては動物園禁止が、動物園で様々な動物を見ることによる、子どもへの情操教育や、生物への関心の機会を奪うことにはなりはしないだろうか。

ゾウを実際に見たことがない子どもは、野生のゾウを守ろうという活動にも、それほど関心を示せないかもしれない。

世の中は私たちが思っている以上に、複雑なのだ。

どういう結論を導き出すのであれ、短絡的な「かわいそう」よりも、もっと深く議論することは、あらゆる未来への可能性を残すための手段の一つだと思う。

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