「もっと、こうすればいいのに!」
「なんで、こういうふうにできないの!」
そうやって、他人に怒ることは何度もあります。
特に子育てしていたら、毎日のようにそれがある。
「鉛筆とかはここ、塗り絵や絵はこっちに片付けようねって、何度言ったらわかるんだーーーーーーー?!」
そう、何度思ったことか。
整理しても、翌日にはぐちゃぐちゃ。
赤の他人ならば、「そういう考え方しかできない人もいるんだね」「そういう性格なんだから、関わるのやめよう」と思えるけれど、こと身内や仲のいい人だと、難しい。
一緒に生きているから、改善してほしいと思うし、いつか改善できると信じてしまう。
あくまでも、自分にとっての「善」だけれど。
なぜ、自分と同じように、片付けができないのだろう?
なぜ、自分と同じように、時間までに準備をしたり、後片付けができないのだろう?
なぜ、自分と同じように、ご飯を集中して食べることができないのだろう?
近年、「努力をする」というのも才能の一つだという考え方を目にするようになった。
努力すれば報われるというのは、幻想。
そもそも、努力を継続できること自体が、生まれ持った才能であるということ。
つまり、そもそも努力を継続できる才能がなければ、努力と継続の才能を持っている天才には勝てないことになる。
岡田斗司夫さんの「サンデル教授の挑戦状!『実力も運のうち~能力主義は正義か?』を語る SDGsを掲げる人類が解決するべき真の課題 岡田斗司夫ゼミ」は、すごく面白かった。
人間の性格は半分は遺伝で半分は環境だと言われている。
遺伝は、自分ではどうにもできないし、環境だって、そう簡単になんとかできるものでもない。
どんな国で、どんな場所で暮らすか、周りにどんな友だちがいるか、どんな家族や親戚がいるか、どういう文化に触れるか。
自分でどうにかできることなんて、少しもない。
シンプルライフスタイルも、物が少ない方がいいという価値観も、そういうことを継続できる人とできない人は、結局、各自の遺伝と環境の違いなのだということも言える。
言い方、伝え方が悪いのではない。
相手が、継続力や努力をする遺伝子を持ち合わせていなかっただけのこと。
娘も半分は私の遺伝子だが、残り半分は夫の遺伝子だ。
彼女の場合、夫側の遺伝の方が強く発現されている。
つまり、私と同じようにできると期待しても、できない可能性の方が高い。
ママ友の話を聞いていても分かる。
親子でも、兄弟でも、全く違う。
同い年の子どもでも、鉛筆1本1本まで揃えて、部屋をきれいに片付ける子もいれば、片付けBOXにとりあえず入れるだけで、いつも何かを探し回っている汚い部屋の子がいる。
その違いは、親の教育とか、そういうのじゃなくて、結局は遺伝なのだ。
「片付いた子ども部屋つくり」みたいな雑誌や本の真似をしたって、できる子どもとできない子どもがいるのは当たり前。
誰でも、できるわけじゃない。
自分の子どもができないからといって、それは責めたって仕方がない。
だって、遺伝的に違うから。
なので、最近の私は娘に対して、かなりの諦めモードです。
だって、大人になっても汚い部屋に住んでいる人もいるのだから。
できないことを、いつまでも責めてしまうのは、逆にストレス。体にもお肌にも悪い。
娘に早く、一人部屋持たせたい。
そうしたら、散らかすのは自分の部屋になるのだから。
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