私、結構、若い頃からいろんなジャンルの本を読んできた。
友だちの少ない陰キャラで、大学生時代もコンパとか合コンとか、そういうものに縁がなかったから、長い通学時間をひたすら読書で現実逃避。
都心で、電車も混んでたから、ラノベとかBLとか漫画は恥ずかしくて読めない。
図書館で借りた、面白そうな本や、卒業研究に必要な本を読んでいた。
忘れているものもあるけど、薄く広く、いろんなジャンルの知識は頭に入ってる。
多分、頭のどこかを探せば、ある。
古い古い図書館みたいなもので、この本を探したいと言われても、なかなか見つからない。
「この本(知識)を探しています」と言われても、なかなか見つけ出せない。
アウトプットをしてこなかったので、昔読んだ本は(知識)書庫の奥の方で眠っているのだ。
つまり、無意味な読書を続けてきたということになる。
読書するという習慣が身についた、分厚い漢字だらけ、専門用語だらけの本への抵抗が少なくなったという、メリットはあったけれど。
最近、思ったのが、読書や動画視聴で仕入れた知識は、知識として知っていても、あんまり意味がない、ということだ。
知識はアハ体験を通じて、モノになる。
アハ体験とは
「わかったぞ!」とひらめく感覚。腑に落ちる、という感じにも似ている。
先日、あるYouTubeで「欲望は不安のフタ」という言葉を聞いて、なるほどなぁと思った。
何か欲しいのは、不安だから。不安だから、欲しくなる。
なるほどなぁと思って、手帳にメモして、なんとなくその言葉を自分の中の色々な「欲望」と照合していた。
「早く会いたい」は「会ってないと相手の気持ちが離れてしまわないか不安」
「これが欲しい」は「これくらい持ってない自分は不安」
「行ってみたい」は「行ったら、何か楽しいことがあったかもしれないのに、それを体験できない自分は不安」
のような。
「欲望は不安の裏返し」ということは、今まで読んできた心理学系の本に何度も書かれていたし、自分ではわかっているつもりだった。
でも、改めて言われてみると、わかっているつもりで、応用はしていない。その知識を使いきれていない。
他人の言動から、「この人は、本当はこういう不安があるから、こうしたいんだな」という風に分析したことはあったけれど、自分の気持ちを分析したことはなかった。
だから、自分の欲望を分析してみた。
けれど、それは、あくまで机上の空論。こういう欲望はこういう「不安」を抱えているかもしれないという、自分の中の予測でしかない。
でも、昨日、リアルタイムで湧き上がる欲望と、その不安を感じとることができた。
職場で、後輩と元同僚のインスタを見ながら、高級レストランと高級ホテルの綺麗な写真に、「うらやましいなぁ」という欲望を、うっすら感じた。
そこから、羨ましいの影に、「自分と同年代で、同じような地方都市で暮らしている人が、自分と違って、いい暮らしをしているけれど、自分はそうでないという不安」を発見した。
それを発見すると、「羨ましい気持ち」はすぐに収まった。
咄嗟的に不安と欲望を抱いたけれど、高級レストランでの食事や高級宿は、お金もかかる。自分は、近場のレストランでも満足できるし、自炊でもいい。旅先の宿も、そこそこ清潔感があって、快適なら文句もない。
贅沢をするために、元同僚はコストと時間を払っていると思うと、そこまで羨ましいと思わない。
自分も旅行や外食は好きだが、そこまで重きを置いてないし、そこそこで満足できる。自分は自分で、他に好きなものもある。
そう思うと、欲望も不安もおさまる。
人は瞬間的に、よくわからないまま、他人との比較で不安になり、「羨ましい!」と思わされて、消費行動に駆り立てられる。
消費できなければ、悶々と欲望が解決されない不満と、不安を抱え続けるのだ。
「欲望は不安のフタ」が、心底理解できるようになると、瞬間的な不安・欲望にも、対処できるようになる。
この自分の心の変化が、手に取るようにわかって、ああ、得た知識って、こういうふうに「腑に落ちる」を通して、自分のものになるのだとわかった。
文字列で頭に入れても、リアルでそれを体験しなければ、あまり役には立たない。
経験は知識より優る。
まぁ、経験だけしても、それをうまく言語化・分析できないと、無意味になる。だから、事前に知識が必要なのだ。知識と経験で最強。
その「腑に落ちる」瞬間は、今回のように、知識を得た後、すぐに来ることもある。
あるいは、数ヶ月かかることもある。
そんなアハ体験があって、ようやく知識が役に立つと言えるようだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
よかったら、ポチッとお願いします。