図書館で罪と罰の漫画版を借りて、読んだ。
読んだのはこちら。
昔、小説の方は、20代のころ、なんとか頑張って一度、読破してある。
だが、難しくて、うっすらとしか内容を覚えていない。
中学時代、尊敬する先輩がロシア文学が好きだったので、いつか読んでみたいと思っていた。
先輩のことが好きだったし、ロシア文学が好きで、ロシア語を学ぶくらいだから、よっぽど面白いに違いないと思って、頑張って読んだ。
あと、「こういう難しい文学作品読んでたら、すごいって思われるだろうな」という見栄も少々。
でも、名前の難解さや、社会背景を理解するのに、苦労して、どうにか最後まで辿り着いたという感じ。
人に語れるほどではなかった。
最近になって、なぜ今更というのは、ひろゆきが、YouTubeで漫画版の罪と罰を読んだと話していたから。
ちゃんと小説で読んだ方がいいと思っていたけど、漫画版でも内容がわかればいいよね。
せっかくなので、内容をきちんと復習したい。
そう思って、まずは漫画版を手に取った。
漫画版は自分の中のイメージとキャラクターが違いすぎて、違和感はあるものの、内容はざっと掴めた。
楽できるところでは楽するのは大切だ。
それから、中田敦彦のYouTube大学で罪と罰を観た。
いやぁ、中田さんの説明ってわかりやすいし、演技って、ほんとに面白いよね。
この作品の見解は、たくさんの人がいる。
私の捉えた感じでは、「非凡人は何をしても許されるのか?」というテーマ。
戦争では何人もの人を殺せば、英雄になれる。
なぜ、自分は二人の女を殺しただけで、罪になるのだ。
強欲な金貸し女を殺して、なぜ自分は罪になるのだ。
主人公のラスコーリニコフは、自分の内側の「罪悪感」と戦う。
そんな彼は、自分の体を売って、家族を養うソーニャと出会う。
娼婦は汚らわしいと言われた時代。
彼女もまた自分の行いに罪悪感を抱いていた。
まだまだ、考えさせられることはたくさんありそうな作品だけど、私が気になったのは、キリスト教がなぜ娼婦や売春を悪として、それを買う側の男を悪としないのだろうかということ。
だって、女は生活のためにそれをやっているし、人間最古の職業は売春だと言われている。
女は男のように肉体労働が得意ではない。それなら、別の方法で自分の体を使って、生活することも許してあげるべきじゃないかと思う。
病気とか妊娠とかリスクはあるけど。
(戦争とか炭坑とかよりは、まだ多少安全な仕事だよな)
キリスト教は男女差別が著しいのはなぜだ。
それは、女から力や自分で身を立てる術を奪い、男に従属させるための策略じゃないかと、ちょっと疑ってしまう。
女って、出産に耐えられる体の作りだから、本当は強いんだよね。
男女の生存率でも、実は女の方が微妙に高い。
話はまたそれるけれど、ラスコーリニコフの妹ドゥーニャに横恋慕していた、金持ちの男、スヴィドリガイロフ。
この男は、最後、ドゥーニャに振られて、拳銃で自殺する。
「君がいない人生なんて」と。
自分の妻を殺すようなクレイジーなおっさんだけど、たった一人の女に振られて、自殺するとは。
自殺は生きたいという本能に抗う行為だから、相当な勇気と決意がいる。
金持ちだから、金を使えば、もっと美人でいい女を探すことくらいできそうなのに、好きな子に振られて、自殺。
この件が、一番、私には衝撃だった。
私がラスコーリニコフだったら、ドゥーニャをとりあえずスヴィドリガイロフと結婚させて、そいつの金で家族で海外逃亡して、途中、そのクレイジーなおっさんを事故に見せかけて殺害するという、サイコパスな生き延びる方法を考えたけど、それじゃあ、話が終わってしまうなぁ。
この、ラスコーリニコフは、なかなか頑固な男だ。自分の中のプライドでがんじがらめになっている。
また、自分と違って、面白いなぁと思う。
自分がもし主人公ならという空想はなかなか面白い。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
よかったら、ポチッとお願いします。