最近、自分の感情に正直に生きることの大切さを噛み締めている。
というのも、私はけっこう、子どもの頃から、親や教師の目、友達の目を気にして生きてきた。
そういう人はけっこう多いと思う。
いつの頃からか、自分は周りの目を気にしたり、期待に応えることはやめようと思うようになった。
したいことはするし、仕事も休みたい時は休む。
もちろん、社会的常識範囲(嫌いな言葉だけど)で、周囲に迷惑をかけないように。
他人から見れば、日本人にしては、結構、自由に生きている部類の人間だと思う。
昨日の記事でも買いた。
でも、意外なところで、自分は自由に生きていないなと思う部分がある。
それは、自分の中に沸き起こる気持ち。
感情を認めるということが、なかなか難しかった。
例えば、怒っているとか。
怒っているつもりはないのに、「怒ってるでしょ」と指摘されると、「怒ってないし」と、怒りながらいう。
我ながら、子どもだと思う。
実際、怒っている。
しょうもないことで怒っているという自分が恥ずかしくて、怒っているということを隠したくなる。
怒っているということを認めたくなくて、余計に怒っているような態度になるという悪循環。
「ああ、私、怒ってるわ」と、認めてしまえば、その悪循環は断てる。
腹立たしいとか、悲しいとか、嬉しいという感情を、言葉で飾って、誤魔化そうとすると、本当に自分が求めていることがわからなくなる。
本当はもっと、一緒にいたい。寂しいけど、それがわからない心は、勝手に「怒り」という感情を作り出し、相手の悪いところ探しを始める。
自分が怒っているのは、相手が悪いからだということにしようとしだす。
最初の「一緒にいたい」という欲求を話し合い解消すれば、解決する悩みなのに、相手を悪人にして、どんどん不幸になっていく。
自分の感情に対して、正直でないと、精神衛生上、よろしくないし、人間関係にも悪影響を及ぼす。
もう二度と関わらないであろう他人なら、一方的に相手を悪者にしてしまうのも、いいのかもしれない。
けれど、大切な友人や家族といった、長期的無関係ならば、あまり自分の感情に無頓着にならない方がいい。
上辺だけの沸き起こった一瞬の感情ではなく、奥にある感情に正直になる。
それが、幸せに生きる秘訣だと思う、今日この頃でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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