自分を客観視して、且つ合理的に行動することは難しい。
そもそも、自分を客観視すること自体が難しい。
小学2年生の娘は、たまに癇癪を起こす。
大したことがないアクシデントに、泣き出し、叫ぶ。ものに八つ当たりする。
私も心に余裕があれば、「どうしたの」と話を聞いてあげられることができる。
でも、仕事のあとで、ぐったり疲れていたり、寝不足だったりすると、そんな余裕はない。
口調はできるだけおだやかに、でも、きっぱりと
「そういう、イライラむしゃくしゃしている態度は、周囲の人を不快にするから、やめた方がいいと思う」
なんて言ってしまう。
すると娘は泣きながら「わかってるよ。でも、なぜかこう言う風に言っちゃうんだよ」と、弁明する。
彼女は自分の感情と、それに結びつく言動。それをコントロールできないことを、自覚している。
自覚できる客観性があるだけ、彼女は成長していると思う。
自分が彼女くらいの歳の頃は、なぜかわからないけれど、イライラしたり、悲しかったり、怒ったりして、それをそのまま出していた。
彼女は、自分がコントロールできない感情によって、話したり行動したりしているということを、自覚している。
考えてみれば、それは大人でも難しいことだ。
怒っていないと言っても、怒っているような口調になる。
素直に自分の非を認めることができない。
感情はコントロールできない。
そして、その感情にる行動もコントロールが難しい。
子育てしていると、育てているつもりでも、自分で自分をまともな人間に育てているような時がある。
子どもに言い聞かせながら、「そういう自分は、どうなんだ?」と自問自答する。
それこそが、自分のことを客観視する力を育むのではないだろうか。
「他人は教師」だ。
他人は、大人だけではない。
小さな子どもや赤ちゃん、通りすがりの老人、全ての出会いが私たちの成長の糧となる。
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